青の魔術師―――女が女になる理由
人は、経験し、学習していく。
様々な学習の反復によって、自分のなかに経験の蓄積からくる最良の行動形式を作っていく。見知らぬ人と接するとき、目上の人間と接するとき、友人と接するとき、家族と接するとき、人は意識無意識どちらにせよ、どういう行動が最も場にふさわしいか、その手本と見比べて自分の行動を選択する。
しかしそのやり方が通用するのは、自分のなじみのあるもの、状況に対してのみだ。
これまで見慣れていないもの、これまで身近にいたものとは異質なものには、経験の蓄積がない。よって、既存のやり方を踏襲することはできない。これまで築き上げてきたマニュアルは役に立ってくれず、むしろ害となってしまう。
そういう場合、人は一様にある感覚を味わう。困惑、である。
なまじ、男より賢い女が側にいると、その気に障りようは、愚かな女とは比べ物にならない。
ケリーはこの半年間、つくづくそれを実感していた。
「この道をずーっとまっすぐ行くと、二又に道が分かれているわ。右へ行けば、獣人の里につくわね。左に行けば、魔法が売っているかなり大きな町に着くわ」
たなびく紺青の髪。
人目を引く鮮やかな深い青が、灰色のローブの上を流れている。その髪を揺らしながら1人の女が話をしていた。
手には古代樹でできている年代物の杖を持ち、足には脚絆。
歩く速度はゆるめずに、今踏みしめている街道を杖で指すようにして説明する。
そして彼女は、男の前でも決して頭を下げず、頭をしゃんと伸ばして話をしていた。
今ではケリーを含めて皆慣れたものだが、初めて会ったときは驚いたものだ。
ケリーは実のところ初めて、男に対して頭を低くせず、目線を合わせ、思ったままに己の意見を述べる女というものに出会ったのだった。
レイシ、という名の二十四、五歳の美女は、どこからみても横紙破りで、女のもって生まれた常識というものから遥か遠くにいる存在だった。
しかしそんなことを言おうものなら即座に攻撃呪文が飛んできた。レイシは貴重な魔術師だったのだ。
今じゃあもうすっかり、レイシを女扱いする気は失せている。
レイシは美人だが、稀に見る、というほどじゃない。小さな酒場の看板娘、という程度の美人だ。
でも揺るぎなくこちらを見返す目と、その目の知性の輝きと、意思の強さがとても目新しく、新鮮だった。
レイシは自分が女ということで、差別されるのを極端に嫌う。だからケリーたちはやっぱり男だから、レイシの足の速さに合わせて歩いているのだけれども(それでもゆっくりとしか歩かない女の基準では猛烈な早足だけれど)、それをレイシには言わないという協定ができていた。
「スクエア。町で何か魔法買っていく?」
レイシはスクエアにたずねた。
スクエアは、これまた貴重な僧侶だ。
中肉中背。顔立ちは普通だが、丁寧な言葉づかいと、ほとんど日焼けしていない生っちろい肌から、どうしても線のほそい町の男の印象が先に立つ。
茶色の頭巾を頭にかぶり、僧衣を折り目正しく……なんていう風にしていたのも旅の最初だけで、すぐに麻の風通しのいいゆったりとした衣服に着替えることになった。
暑いことは暑いんだけど、それよりとにかく湿度がものすごい。
空は分厚い雲がひしめいて、太陽の熱をこもらせている。それが湿度と温度をひたすらにあげていた。
季節というものがこの世から無くなって、もう何年が過ぎただろう。分厚い雲は気温を一年通じて一定に保ち、溢れるほどの夏の日差しにも、凍りつく吹雪の合間の遮光にも、無縁の土地にしてしまった。
ケリーのいた国は、冬はさして厳しくなく、夏もまた、南国ほどには暑くない。急激に気温があがり新芽が大地から緑の頭を見せる春。照りつける真夏の日差しに、植物が生育するとともに水が不足する夏。冬への過渡期、風が強さと冷気を身につけ収穫期の山の幸が食卓に華を添える秋。命が眠りにつき、大地にうっすらと白い砂糖衣がかかる冬も、奪われてみればすべてがなつかしかった。
ケリー、レイシ、スクエア、ヘプライト、リチャード。パーティの人数は今のところ五人で、レイシを除いた男三人は鎧をつけるのがもはや拷問に近くなっていた。スクエアは僧侶だからいいけれど、ケリーたちは肉弾戦専門なのだから、鎧の有無は命に関わる。
鎧を着けるときには、金属を身にまとうのだから、当然鎧の下に分厚い綿入り服を着なければならないのだ。そうでないと、鎧のつなぎ目に皮膚がはさまれたり、ぶつかって痣になってしまう。
そんな訳で鎧は身に着けても着崩している男どものなかで、さすがにレイシは着崩さずに、ローブを羽織っている。衣料品店の前で露出の多い衣装に着替えることを提案すると、顔を真っ赤にしてばかっ、と言ってきた。
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