LUNATIC LANDSCAPE.
<Prologue>
静海市(せいかいし)は雨の街だ。
いつもどこかで雨が降る。
それは仕方のないことであり、この街で生きていくために、享受しなくてはならない瑣末なことの一つなのだけど……やっぱり、わずらわしいものはわずらわしい。
紙(パルプ)製の使い捨て衣類(リサイクル・クロス)の類は外出着としては使えない……。靴も、ちゃんと防水加工したものを履いて出ないとひどい目に遭う……。
そして雨が降るわけだから当然、昔ながらに傘をさすとか<雨よけブローチ>をつけるとかしなくてはならないし……。
――それに何より、濡れるのは嫌だ……。
雨に降られ、ユイ=イェはそう思った。
愛用の傘を左手でかざし、立ち尽くしていたのだが、持った傘が重かった。
傘は曲線を基調とした幾何学模様がプリントされた、アンティークなデザインのものだ。
オールプラスチック製が主流の昨今、その傘は、骨と軸とは鋼鉄製で柄はオーク材、傘の部分はキャンバス製と言った代物だった。
もとより市販品より重いのに、長い間、さしっぱなしにしていたせいでキャンバスの防水が既に効いておらず、じっとりと水を含んで重さを増している。
水のわずらわしさを愛用の傘で楽しむ余裕がある時はいいのだけれど……ここに立ちつくし、標的を待ち惚けてかなり時間がたった今では、いい加減限界に来ていた。
――早く来なさいよ……馬鹿……っ!
そう思うが、その想いが相手に通じるはずもない。
今のユイ=イェには、このまま立ち尽くすしか術(すべ)はないのだった……。
こんな風に傘が使い物にならなくなった時には――いや、傘を差すという行為自体、実はファッションなのであって、普段のユイ=イェはジャケットに仕込んである<雨よけブローチ>を使うのだが……今回はそれを使うわけにはいかなかった。そんなもの使ったら、せっかく使っている<隠行>の呪式が、無意味になってしまう。たかが、<雨よけブローチ>と言えども、立派な呪式アイテムなのだから――。
<雨よけブローチ>とは、静海市で用いられている一般的な呪式アイテムの一つだ。
その名の通り外観はブローチそのもので、凝ったデザインのものも多い。しかし単なる装飾品ではない。それには呪式が仕組んであって、作動させると水を弾くフィールドを装備者の周囲に形成する。つまりは、雨を弾くのだった。
とはいえ呪式を扱うプロフェッショナルである操呪士(スクリプター)でなくては扱えないという代物ではなく、誰にでも扱えるように竜玉石(カーバンクル)でパッケージされていた。ブローチの宝石部分――つまりはそれがカーバンクルなのである。<雨よけブローチ>の呪式自体、高度なものではないので、質の悪い大粒のものがはめ込まれている場合が多かった――に触れさえすれば発動し、もう一度触れれば動かなくなるだけの、呪式アイテムとしても単純な物だった。
大抵の人は、この<雨よけブローチ>を他のもろもろの呪式アイテムと一緒に身に付けていた。ユイ=イェもその例に漏れず、愛用のジャケットの両肩に、目立つ形で組み込んでいる。
しかし、そんな小物でも、作動させたら相応の呪界を形成しノイズをまき散らすことになる。電磁波や呪的ノイズを封じる為の<隠行>の呪式の呪界の中で、そんなものを駆式すると、呪界同士が干渉してしまい、どちらも上手く動作しなくなってしまうのだった。
今優先させるべきなのは、周囲から身を隠すための<隠行>の呪式であり、だからこのままこの場所に、ユイ=イェは傘を片手に立ち尽くすしかないのだった――。
ユイ=イェは恨めしげに、頭上を見上げた。
真上は、厚い雲が覆っていた。
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